挙式
気がついたら眠っていたらしく、俺はカラ松の背中にもたれ且つ腕の中に抱き締めた状態で目覚めた。よく岩の上に座ったままで海に落ちずに生きていたなと思う。その代わりにアラサーの身には相当堪えたようで、身体中が凝り固まって痛かった。まだ日が昇っておらず薄暗いが、真っ暗という訳でもない。今が何時かが分からないが恐らくは朝に近い夜。舞台はあまりにもあっさり整ってしまった。
「カラ松、起きてる?」
「…ん」
眠っていたらしい。おっさんみたいな目つきの悪さで目覚めるカラ松。考えてみればこいつ俺と6つ子だし同い年な訳だから、そりゃおっさんだわ。
寝ぼけたように目を擦るカラ松。目の前に広がるのは海。何故自分がここにいるのかが理解できないのだろう。何度か瞬きをして、こちらをゆっくりと振り返った。その顔が、みるみるうちに豹変していく。息を飲む音、見開かれる目、震える唇。
「…だ、だれだお前!」
本気で驚いた声。その一言は、思いの外俺を傷つけた。
あぁ、間に合わなかったか、と思った。この気持ちになることが嫌で、俺はカラ松を殺して、自分も死んで、来世に賭けようとしていたというのに。カラ松が俺を認識出来なくなってしまう前に俺は、カラ松の記憶を永遠に封印しようと思っていたのに。
カラ松は俺の体を押し退けて、長時間同じ体勢でいたことで痛いであろう体を物ともせずに立ち上がった。ひどく混乱したように周囲を見回す。
「おそ松、トド松、チョロ松、一松、十四松…みんなどこにいるんだ…!?」
他の6つ子の名前を呼ぶカラ松。それだけで俺はとてつもなく安心した。なるほど、俺の存在を忘れた訳ではなくて、俺の姿がカラ松の中の記憶と一致しなくなっただけらしい。それならばまだ救いがあるなと、俺は胸を撫で下ろした。
対してカラ松は焦燥の表情を見せていた。しかし、周囲には俺しかいない。当たり前だ、こんな時間に俺ら以外の人間がいる訳がないし、他の兄弟たちは俺とカラ松がこんなところにいるなんて夢にも思っていないだろう。そんな状況がおかしくて、思わずクスッと笑ってしまった。その声をカラ松は聞き逃さない。俺の胸ぐらを掴み、怒気を含んだ声で俺に迫る。
「おいお前、知ってるんだろ。他の奴らはどこにやった」
おぉ、怖い怖い。思わぬ剣幕に、たじろいでしまいそうだ。昔のカラ松は喧嘩っ早くてすぐ手を出すし、今のカラ松の身体は筋肉おばけだし、下手なことを言うと本当に殺されるかもしれない。まぁまぁ、と俺は宥めるように両手の手のひらを向けてカラ松を制した。
「逆だよ、逆。俺がお前を誘拐したの」
「…ゆう、かい?」
「そうそう、誘拐。大丈夫、他の兄弟たちに手は出さないからさ。お前とちょっと話がしたかったんだよね」
訝しげな顔をしながら掴んだ俺の胸ぐらを放すカラ松。何はともあれ、ひとまず俺はカラ松にボッコボコにされる運命は避けられた訳だ。ふう、と息を吐いて、改めてカラ松に向かいなおる。
「はじめまして。俺、おそ松でーす」
カラ松の片眉が跳ね上がった。カラ松の警戒心が一瞬にして消え去る。
「おそ松!?俺の兄ちゃんと同じ名前だぞ…!?」
「そそ。同じ名前なの。すごくね?運命感じちゃうでしょ」
「言われてみれば、心なしか似てる気がするな…ふいんきが」
雰囲気な、と心の中でツッコミを入れる。
カラ松はとても感動したように俺を見つめていた。どうやらもう心配はいらないらしい。俺だったら、こんなところに同じ名前の奴がいたら逆に警戒心強めるだろうなぁと思ったけれど、頭が空っぽなカラ松なことだから仕方がない。
穴が開くほど見つめてくるカラ松。羨望にも似た眼差しがカリスマレジェンドな俺でも痛いくらいで俺は目を逸らした。無垢な瞳が眩しい。その代わり、俺はカラ松の頭をポンポンと叩くようにして撫でた。不思議そうな顔をするカラ松に問いかける。
「…なぁ、お前の兄ちゃんのおそ松ってどんな奴なの?」
カラ松の目がいきいきと輝いた。
「おそ松か!おそ松は長男なんだ!あ、おれたちは6つ子で、同い年のおそ松が長男、次男がおれで…」
カラ松の説明は言いたいことから順番に言っていくから、日本語がぐちゃぐちゃになっていた。それでも理解できたのは言わずもがな、俺がまごう事なき6つ子の長男様でカラ松のお兄ちゃんだからだ。
「おそ松はよくいたずらするんだ。あとおれのこともよくだます。ひどいだろ?学校サボる時はおれの名前でサボるんだぜ?おれはサボる時は十四松の名前でサボってるのに」
「あっはは〜そんなこともあったね」
「知ってたのか?」
「ん?ああ、何でもないから。大丈夫、続けて」
しまった、相槌には気をつけなければ。けれど、カラ松にとって俺の反応は気にするに値しないようで、その後もまくし立てるように俺のことを話す。
クワガタを捕まえるのが上手いこと。
家畜のブタを盗んで食べようとしたこと。
超能力に憧れて給食のスプーンを曲げようとして、曲がらなかったからイライラしてスプーンを力任せに折ってしまったこと。
よくそんなにも話題が次から次へと出てくるものだ。俺の覚えてること覚えていないこと様々なエピソードがあって、「本当にそんなことあったのか?」と俺が疑うと、「あったに決まってるさ!」と怒鳴ってきたから、あったのだろう。カラ松の中の俺との記憶は、随分と減ったはずなのに、こんなにも尽きないのか。
「お前さ、本当におそ松のこと好きなのね」
しみじみと言うと、カラ松は度肝を抜かれたようにギョッとした顔をしてきた。
「えっ、なんで分かったんだ!?」
こんなにかくしてたのに、と言う。いや、分かるでしょ。お前、おそ松しか見てないじゃん。
いつの間にか朝日は昇っていて、俺がカラ松と一緒に最期に見るはずだった景色が移ろってゆく。太陽を背に受け、カラ松はとても得意げな顔をしてみせた。カラ松はどこまでもカラ松で、その笑顔は変わらない。
「大きくなったら、おそ松に好きって言うんだ。だから、おれはおそ松にも好きって言ってもらえるように、いい男にならないといけないんだ」
「…そっか」
そう言うことで精一杯だった。
きっと今の俺がお前を抱き締めても、お前は俺を俺だと認識してくれないんだろう。お前の好きなおそ松は、もういない。俺の好きなカラ松も、もういない。
こんなカラ松、殺せるはずがなかった。
「ねぇ、そろそろ家に帰ろうか」
「おれの家を知ってるのか!?」
「うん、知ってる知ってる。結構いい場所にあるよね、あの家。お兄ちゃんが特別に送っていってあげるよ」
ほら、手を繋いで帰ろう。
俺のカラ松との心中計画は、こうして終わりを告げたのだ。