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挙式

 雨がやんだ頃にはすっかり日は落ちていて、あたりは闇に包まれていた。雲がまだ厚いのだろう、星はおろか、月の光さえ見えない。視界が限られているせいで、波の音が日没前よりも鮮明に聞こえる。

 時計は持ってきていなかったから、今が何時なのかは分からない。必要がないと思ったからだ。手元には財布しかない。カラ松も同じようなものだ。財布は切符を買う時に必要だったから持ってきただけだったけれど、金があれば最悪どうにでもなる。そういえば夕飯をまだ食べていなかった。

「なぁカラ松、ラーメン食いに行こうぜ」

「ラーメンか、いいぜ。もちろん、お前の奢りだろ?」

「はぁ?ふざけんな、お前が奢れよ!」

 まさかこんな返しをされるとは思っていなくて、思わず噛み付くように言い返す。いくらか軽い応酬をして、やがて俺とカラ松は手を繋いで街の明かりの方へと歩き出した。

 街灯は歩道に沿って立っているというのに、街路樹が邪魔をして道はかなり暗かった。気をつけていないと何かに躓いて転んでしまうかもしれない。おそらく1人でこの道を歩いていたら、現実世界から切り離されてしまったような感覚になっていたであろう。右手のカラ松の体温が俺を現実に留める。

「…おそ松」

「ん、何?」

  遠慮がちにカラ松が口を開く。

「その…男同士で手を繋ぐというのは、どうなんだ…?いや、別に嫌と言っている訳ではなくてだな」

 何を今さら、と思ったけれど、なるほどカラ松の中では兄弟と手を繋いで歩く経験が幼い頃以来なのかもしれない。そりゃびっくりするよな。俺だって今日の朝にカラ松と手を繋いだ時は手が震えてたもん。それにしても、今日1日ですっかりカラ松と手を繋ぐことに慣れたなぁとは思う。思えば今日は、歩いている時はずっと、お互いの手を握っていた。

「暗いから迷子になるかもしれないしね。こうきてれば絶対はぐれないでしょ」

 俺が言うと、カラ松はいつものように「そうか」と答える。カラ松お前は本当に昔から変わらないなって、この返事を聞くたびに思う。

 ラーメン食いに行こうぜ、とか誘っておいたくせに、俺はこの辺りのラーメン屋の場所なんて把握していなかった。ただ、とりあえず何か口実を作ってカラ松と歩いてどこかに行きたかったし、あわよくば夕飯を食べたかった。空腹だと人間、本当にテンションが下がる。

 きっとカラ松は俺がラーメンを食べに行こうと言ったことも忘れてしまっているのだろうなぁと思いながら、じゃあ別にラーメンじゃなくてもいいんじゃね?なんて考えに至ると、一気に気が楽になった。大通りに出て、それらしいものを食べればいい。財布のダメージを最小限に抑えることができて、なおかつ腹が膨れれば、どこだっていいだろう。

「カラ松、夕飯何食べたい?」

「そうだな…唐揚げ、と言いたいところだが昨日食べたばかりだ」

「あ、飲み屋は却下よ?俺今日1000円しか無いから、飲み放題出来ないもん」

「飲み屋!?俺たちまだ未成年だろ」

「飲めるよ!」

 カラ松が信じられないというように大きな声を出すから、俺もつられて声を荒げてしまった。思わず歩みを止める。別に怒った訳ではないのだけれど、カラ松にとってこの俺の反応は予想外だったのだろう、びくりと身体が震えるのが分かった。少し怖がらせてしまったかなと思い、なるべく優しい口調で俺はカラ松に言う。

「もう、とっくの昔に飲めてる」

 俺たち、今月の末で27歳になるんだ。

 そう伝えるとカラ松は酷くショックを受けたようで、えっ、と言ったきり黙ってしまった。

 少し、ほんの少しだけ、カラ松を傷つけたいと思ってしまったのだ。カラ松が俺の言葉に傷ついて、俺に翻弄されてしまえばいいのにと思ってしまったのだ。だからカラ松に、お前は今この時間を生きている訳ではないという事実を突きつけるようなことを言った。どうせすぐに、俺が言った言葉も、己が傷ついたことも忘れるだろう。俺は初めてカラ松の記憶が残らなくなってよかったと思った。

「まぁ、そういうことだからさ」

 なにがそういうことなのだろう。自分でもわからないが、それ以外の言葉が出てこなかった。

「牛丼、なんてどうよ?」

 大きな車道の向こう側の店を指して俺はカラ松の返事も聞かずに手を引いた。

 

 結局、2人とも牛丼の大盛りを注文して腹を満たしたにもかかわらず、俺らは閉店までずっと店に居座って話をした。話と言っても、最近弟たちが俺に冷たいような気がするだとか、昔みたいに6人が入れ替わっての悪戯は出来なくなってきたな、だとか、当たり障りのない話。もちろんカラ松の中で俺らはここまでおっさんになった訳ではないから、俺の話にはそんなことないだのと言っていたけれども。兄弟愛について熱弁するカラ松に、俺が思わず「若いねぇ」なんて言った時のカラ松の反応は特に面白かった。俺たちはまだこれからだ、だとか、未来は輝きに溢れている、だとか、もう本当に若い。お兄ちゃんお前が眩しかったよ。昔は俺もこんな風に思っていたのだろうかと思うと、その思考が既に歳とったんだなぁって改めて思い知らされて。

 帰りも俺とカラ松は手を繋ぎながら歩いた。途中でコンビニでアイスを買って、食べ歩きをしながら、再び海へと向かった。

「なぁおそ松、すっかり暗くなってしまっているな。そろそろ帰るか」

「ん、大丈夫大丈夫。そういうのないから。ちゃんと親に今日は遅くなるって言ってきたし」

 もちろん嘘だ。大体、連絡手段は全て家に置いてきてる。けれど、本当のことを言うとカラ松はきっと家に帰ろうと言うだろうから。そうなったら面倒臭いし。大体もう終電無いし。

「そうか。なら安心だな。ところで今は何時だ?」

「さぁ?時計忘れちゃったし。でも7時くらいじゃね?」

 これも嘘だ。牛丼屋を出た時点でとうに日付など超えていた。

 随分とカラ松に対して嘘が上手くなった。違う。嘘が上手くなったというより、誤魔化したり適当なことを言うことが上手くなった。どうせカラ松は忘れる、そう思うと自然と俺の中で言葉の重みというものが消えていったし、それに伴って言動も軽くなった。昔から思ったことはすぐに言ってしまう性格だったけれど、それがカラ松の前ではひどくなった。と思う。

「あ、そうだ!あのさ、海行かね?海」

 もう海に向かって歩いてはいるけれど。カラ松はきっとこの道も初めて歩いているのだろうし、今自分が海に向かって歩いていることも知らない。

「海?夜にか?」

「うん。なんか誰もいない海辺歩くって、ロマンあるっていうかさ、一回俺やってみたかったんだよね。なんかかっこよくね?」

「危なくはないか?」

「大丈夫だって。そんな波には近づかないから」

 カラ松は俺の言葉に、そういうことならと了承した。

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