挙式
海へ行く途中でカラ松が「そういえば、何で俺たちは海に行くことになったんだ?」と尋ねてきたから、俺が行きたいからお前を連れて来たのだと言うとカラ松はとても嬉しそうな顔をした。
気温を考えると、もう海開きをしてもいいのではないかと思うけれど、海の水温は陸と比べて1ヶ月遅れというし、5月の海はまだまだ冷たい。それでも、靴を脱いでズボンの裾をたくし上げて、砂浜で海水を蹴るだけで十分に楽しむことができる。
だけど、つまんないことは嫌いだから。
「カラ松、いくよ〜!」
「えっ、」
俺は海に着いた瞬間にカラ松を思い切り海へと放り投げた。次の瞬間には海水に叩きつけられるカラ松。ゆらりと立ち上がって姿は目も当てられないような酷いものだった。鼻に潮水が入ったのだろう、涙と鼻水にまみれた顔をしかめて悶絶している。
「おい、おそ松!」
「あはははは、ごめんって!」
怒った顔をして追いかけてくるカラ松から逃げる。カラ松は海水をふんだんに染み込ませた重たい服を着ているから、俺に追いつけるはずがない。足だって俺の方が速いしね。「おい」だとか「待て」だとかいう言葉とともに俺の名前を呼ぶカラ松。
不意に、愛おしいと思った。
きっとカラ松はもう少ししたら、俺のことを何故追いかけているのかも忘れてしまう。
忘れているのに、俺の名前を呼んでは追いかけるのだろう。
…可哀想なカラ松。
いつか本当に俺のことを忘れる日が来るの?
自分が誰だか分からなくなる日が来るの?
嫌だなぁ。漠然とそう思う。自分が愛した、愛された、松野カラ松は、今も音を立てて崩壊し続けているのかもしれない。そう考えると胸が痛くて苦しい。性に合わないことを考えているから、なおさら苦しい。
ドンッ、という音とともに、不意に背中にとんでもない重みを感じて俺は体勢を崩した。そのまま海へ顔面から倒れる。余所事を考えていたらカラ松に追いつかれたらしい。それにしてもあいつ、お兄ちゃんの背中に突進するなんて。
「え、えぇ〜カラ松酷くない?」
「捕まえたぞおそ松」
「あ〜捕まった捕まった」
カラ松のことで学習していたから直前に全力で鼻から息を吐いたから、潮水に粘膜を痛めつけられることは無かった。俺ってば天才。きっとカラ松は同じ失敗を繰り返すだろうなと考えると、もう一度投げ倒してやろうかと思ったけれど、散々走って疲れたし、服もパンツもびしょ濡れになっちゃったからやめた。もう俺もおっさんだなぁって思った。
海の浅いところで尻餅をついた体勢のまま、カラ松を見上げる。空と海の青がカラ松のパーカーによく映えた。眩しくて、思わず目を細める。
今なら言える。確信があった。
「好きだよ」
「…え?」
「俺、お前のこと本当に大好き」
きっとすぐにこの言葉もカラ松に忘れられると、分かってるからすんなりと言える。
困惑するカラ松の表情はとても見ていて愉快で、こりゃ何回も告白しようかなぁ、なんて思ってしまった。
かつての告白はカラ松からだった。恐らくカラ松も俺の恋心を知っていて、でもカラ松は俺がカラ松のことを好きになるずっと前から俺のことが好きだった。でなきゃ家出した兄弟を2ヶ月間毎日必死で探し回るようなことはしない。
今のカラ松は、ここ最近毎日俺と久しぶりに会っていた。きっとカラ松の記憶の中では、俺は毎日必死で探し回っていたけれども、ようやくふらりと帰ってきてくれた兄なのだ。それは少々難儀な事態を引き起こす。今こうしているようにずっと俺とカラ松は一緒に行動を共にしていると問題無いのだが、少しの間俺がカラ松の前から姿を消すと、カラ松の中で俺は再び家出をしている状態になってしまう。カラ松の新しい記憶が消え、時間が昔へ戻ってしまうからだ。
だがそれも、時間が解決することである。きっと数日でカラ松は、俺が家出をした事実を忘れるだろう。あの夜のことも、きっと忘れる。そうに決まっている。
そうして、いつか俺の存在はカラ松の中からは消え去って、今の俺の存在だけが残る。それはあまりにもつらくてたまらない。そうなってしまったら、カラ松はきっと俺のことを好きでは無くなってしまう、という不安のせいかもしれないけれど。
だから俺はカラ松を誘拐したのだ。家族の誰にも知られないうちに、カラ松の記憶の中から俺が消えてしまう前に、2人でこっそり死ねるように。
そうか、と自分の中で納得する。俺はカラ松と心中するために、カラ松を誘拐したのだ。
ならば丁度いい、この海に身を投げよう。そして来世でまた、同じように恋をしよう。
そんなことを俺が考えているなんて、夢にも思っていないんだろうなぁと思いながら、俺はカラ松に向けて微笑んで見せた。目を閉じてやると、ゆっくりとカラ松の顔が自分の方へ近づいてくる気配がして、そっと俺の唇に接吻して、また離れていった。目を開けると顔を真っ赤にしたカラ松がいて、あぁそういえばファーストキスの時もこいつこんな顔してたな、だとか思って思わず笑いがこみ上げる。俺が笑うと、カラ松は「ど、どうかしたか、俺は何かしたか?」と動揺するものだから更に可笑しくて。
その後はまるで初デートをする恋人のように手を繋いで砂浜を歩いた。