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挙式

「誘拐って言っても、そんな大それたことじゃないよ。ちょっとカラ松にお兄ちゃんの家出に付き合ってほしいだけ」

 駄目?

 そう尋ねるとカラ松は、なんだそういうことかというように頷いた。

 そうは言っても、その行くアテは俺には全く無くて。まあ、駅まで歩いて、それから電車に乗って、とにかく遠くへ行こうと思ってはいたけれども。もっと何か言われるかと思ったけれどカラ松はずっと黙って俺についてきた。迷子になるといけないから、手なんか繋いじゃって。久しぶりすぎて手汗がすごいの。俺ってこんな奴だっけ、とか、今更何を純情ぶってるんだ、とか、そういうツッコミも全て自分の中で落ち着かせて。俺はカラ松を誘拐した。

 平日の昼過ぎに電車に乗るような暇人は俺らくらいしかいない。車内はとてもがらんとしていて、俺とカラ松は手を繋いだまま黙って座席に座った。窓際が俺、通路側がカラ松。自分で連れ出したくせに、なんとなくカラ松の顔を見たくなくて窓際に座った俺は、そのままぼんやりと外を眺めた。空は快晴。窓ガラスに映っているのは、頭の悪そうな顔をした俺と、俺と繋いだ手を見つめるカラ松の姿。

「…おそ松」

「ん?何、どうしたの?」

 自宅から今まで貫いてきた沈黙を破り、ついにカラ松が言葉を発した。ほんの少しだけ安心する。この状況、絶対に俺からは口を開けなかった。その安心した心情を隠し、なんてことないような声で返事をしたが、すこしばかり言葉がつんのめってしまう。多分カラ松にはバレてない。多分。

「あの、今更で申し訳ないんだが…俺はどうして電車に乗っているんだ?」

「へ?」

 驚きのあまりカラ松の顔を凝視する。完全に予想の斜め上の台詞だった。と同時に、俺は何か腑に落ちる感覚があった。そうか、もうカラ松は、俺に誘拐されたという記憶が消えているのか。

 何と答えようか。再び「カラ松を誘拐したから」と言うのは憚られた。それは決して今電車に乗っていることの理由では無いし、またカラ松をこれ以上混乱に陥らせるのもどうかと思う。結局、考えに考えた末に出た俺の答えは、「なんでだろうね」だった。それが本心だった。俺の返答に、カラ松は短く「そうか」とだけ答えて前を向いた。

「なぁおそ松」

「今度は何?今日のカラ松はいろいろ聞くね」

 茶化して言ってみせるが、カラ松は表情を変えない。まるで俺がスベったみたいで少し心が寂しくなった。

「…2ヶ月前、なんで家出したんだ?」

「……」

 さぁ、なんでだっけ。

 10年も昔の、まだ俺がガキだった頃の、もうそれはそれは厨二病真っ盛りだった頃の俺が、なんで家出なんか考えたのか、覚えてるはずも無い。きっと些細なことだった。親と喧嘩しただとか、兄弟が嫌になっただとか、見ていたアニメに感化されただとか、せいぜいがそんなところだろう。けれど、何か心が苦しい出来事があった、ような、気がする。気がするだけだ。それほどに俺にとって10年前の記憶は遠い。

 本当に覚えていなかった。

「…なんでだと思う?」

 流石に、カラ松の中では2ヶ月前に家出をしたばかりの俺がその原因を覚えていないというのは不自然だろうと、はぐらかしてみせる。そんな俺の態度に、カラ松の眉間のシワが険しくなった。あれ、俺もしかして対応間違えた?

「…おそ松には謝らないといけないことがあるんだ」

「え、なになに?」

「あの夜…俺は起きていたんだ」

「…あの夜って何のこと?」

 一体こいつは何を言い出すのだろう。読めないカラ松の台詞に俺の口からやけに明るい声が出た。否、カラ松の声が深刻で重いから俺の声が明るく聞こえるのだ。カラ松は少し間を置いて、遠慮がちに声を発する。

「お前が眠っている俺の上に跨って、泣きながら抜いていた夜だ」

「…あ〜」

 奥の奥の方に閉まっていた記憶が一気に蘇った。

 そうだ。あの頃の俺は、カラ松が自分以外の誰かと幸せになって欲しくなかったのだ。カラ松に彼女が出来た夜、当時から残念か思考回路だった俺は行き場の無い感情をシコることによって解消しようとした。カラ松に彼女が出来たという事実は、当時の俺にとっては、そりゃあもう衝撃的だった。だって、彼女が出来るってことは、いつかは結婚するかもってことだから。カラ松が家を離れる、そんなことは絶対にあってはならないことだと思った。俺たちは6つ子。6人で1つ。その意識は昔からあったけれど、こうして俺のいないところで兄弟が幸せそうな顔をしているという事実が堪え難かったから。

 だから俺は、兄弟の誰の顔も見たくないと、家から逃げたのだ。

「…あれね、うん。恥ずかしいから忘れて」

「だが」

「もう俺、大丈夫だからさ」

 10年前、俺が家を出て2ヶ月後に、海辺で夕日を眺めていた俺をカラ松が見つけて、俺の家出は終わった。きっとあの時に俺は、カラ松に恋をした。

 まさか自分の黒歴史を抉られることになるとは思わなかった。カラ松が覚えているのに俺が覚えていないなんてことが起こるなんて思ってもいなかったから、これ以上何か言われると恥ずかしさで死んでしまう。

「もう大丈夫。お前が俺のことちゃんと見てて優しくしてくれるって分かってるから、大丈夫」

 俺の言葉に、カラ松はほっとしたように笑顔を浮かべて、いつものように「そうか」と言った。

 そうだ、海へ行こう。

 唐突だけれども、そう思ったら動かずにはいられなくなった。

 次の駅で俺とカラ松は乗車した時と同じように手を繋いで、海へ行く電車に乗り換えた。

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