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挙式

 夜の砂浜は日中とは違って、裸足で歩くには少し冷たかった。それが地味につらくて、結局俺たちは靴を履いて海岸の岩肌が少し見えている場所に座り、波の音を聴いた。

 風も冷たい。服や肌からはすっかり塩が生成されていて、上着を着るのは憚られたが、着ないと凍え死んでしまいそうだったから着用する。それでも寒かったから、ギリギリまで身を近づけるために、俺はカラ松を背後から抱き締めるような形でカラ松の肩に自分の顎を乗せた。

「なぁ、カラ松。知ってる?」

  顔を真っ直ぐ前に向けたまま、俺は海に向かって言う。

「俺、すっげぇ馬鹿だからさ、もういろいろ限界でさ…」

「…おそ松お前…悩み事なんてあったのか」

「えー!それは流石に酷くない!?」

 このカラ松という男はいちいち話の腰を折ってくる。他の奴らの話はちゃんと聞いていることが多いから、折るのは多分、俺の話だけ。本当にひどい。

「俺ね、カラ松にはずっと秘密にしてたことがあって」

 気を取り直して、出来るだけ真面目な声を出す。

「実は俺」

「…」

「お前の知ってるおそ松じゃなくって、未来から来たおそ松なんだよね」

「チェンジ」

「そんなこと言わないで!信じて!」

 いや、嘘だけど!間違いなく嘘なんだけど!

 カラ松は昔から俺には辛辣だとは思っていたけれども、成人してからのカラ松はこれでも丸くなっていたらしい。今のカラ松はいちいち俺の心を痛めつけてくる。

 カラ松は眉間に皺を寄せて、盛大に溜息を吐いた。心底俺のことを馬鹿にしてきてる顔。また、自分でも馬鹿なことを言っている自覚があるからこそ、カラ松を強く責められなかった。仕方がない、一時の我慢だ。

「あのさ、カラ松。本当に笑わないで聞いて欲しいんだけど」

「まだ続けるのかこの茶番を…まぁ、聞いてやるさ」

「あはは、よかった〜」

  なんとか話は聞いて貰えそうだ。まぁ、聞き流してくれても良いのだけれど。せっかく2人きりなのだから、俺の独り言でもカラ松には全て聞いて貰いたかった。深く息を吸う。いざ言うとなると少し緊張してしまう。心拍数も上昇する。ゆっくりと息を吐いて自分を落ち着かせてから、俺は意を決して、あのね、と口を開いた。

「俺とお前ね、未来で恋人同士になってたの」

「…え」

 思いがけない言葉だったのだろう。カラ松が俺の言葉に耳を傾けるのがわかった。

「高校の卒業式でカラ松が告ってきてさ〜」

「……」

「もう本当あの時は死んでもいいって思ったね、うん」

 本当よ?

 驚いたように表情が固まるカラ松の顔を覗き込むようにして笑ってみせる。眉はすっかり力を抜かれており、目も大きく見開かれている。驚きすぎて、顔が無表情になっているのかもしれない。そんなカラ松の様子がおかしくて、俺は思わず笑った。

 高校の卒業式が終わった後、俺が卒業証書の入った筒でチャンバラをしたり第二ボタンを野郎同士で毟り取りあったりしていた時に、カラ松は体育館の裏で小さく俺に手招きをした。気づいた俺はカラ松のもとへ行き、体育館裏で俺とカラ松はしばらく黙って向かい合っていた。詳しい会話は覚えていない。(ただ、「俺を満たせるのはお前だけだぜ、マイハニー」は流石に引いた。)本当にすんなり恋人になったのだ。告白の時点で既に、お互いにある程度好意を自覚していたからかもしれない。

「俺とカラ松はすっごく愛し合ってたの。毎晩キスしたし、しょっちゅうセックスした。俺が挿れる日もあったし、お前が挿れる日もあった。お前は俺の耳噛むのが好きでさ〜逆に俺はお前の内腿にキスマークつけるのが大好きだったよ。あ、もっと詳しく知りたかったら教えてもいいけど、ちょっと妄想の余地がある方がいいっしょ?こんくらいでやめといてあげる」

 17歳の秋に寝ているカラ松に跨って抜いたことは、あまりにも恥ずかしくて言わなかった。今になって思うと本当に大胆な事をしたとは思うし、多分あの時の俺は性欲と恋心のやり場がわからなかっただけだから、なかった事に出来るのならなかったことにしたかったからだ。

 カラ松の目を見て俺が、へへっ、と笑うとカラ松は困ったように俺から目を逸らした。なんだこいつ、まるで相手にしませんから、みたいな態度をとっておきながら、こんなにも信じている。素直に、よかった、と思った。カラ松の記憶の中で、俺はまだ好かれているらしい。

  あぁ、可愛いなあ、なんて。今さら過ぎるかも知れないけれど。

「好きだったよ」

 溜息のように俺の口から言葉が漏れる。声が掠れたけれど、耳元で言っているからカラ松にははっきり聞こえているはずだ。

「恋人だった頃はさ、本当に好きだった」

「…だった…?」

「そりゃ、今も大好きだけどさ」

 思わず不満げな口調になってしまう。でも、これは本当のことだ。

「お前、俺を置いて遠くに行っちゃうんだもん」

 お兄ちゃん、今は寂しくて死んじゃいそう。

 ぼやくように言うと、カラ松の表情が一気に険しくなった。片眉が跳ね上がる。怒っているのだろうか、唇が何か言葉を発しようと震えている。

「そんなこと、あるはずがないだろう…!俺が、おそ松を捨てるなんて」

「うん、捨ててはいないよ。でもね、」

 本当にこればっかりは信じられないのだろう。否、信じられないというより、信じたくないのだろうか。カラ松の声は震えていたし、その動揺が手に取るようにわかる。

 俺も同じだった。

「お前は俺から離れたんだ」

  現在進行形でね、と心の中で付け足す。当時は、まさか将来お前の記憶がどんどん消えていくなんて思ってもみなかった。そんなの、想定外にも程がある。

 カラ松の記憶が無くなり始めた頃、俺はそれを受け入れられずにブチ切れてカラ松のことを殴って一方的に別れを告げた。だから俺とカラ松は今は恋人ではない。もちろん、しばらくの間はカラ松には俺と別れた記憶がなかった訳だが、程なくして付き合い始めた記憶すら失ったから、本当に恋人関係は解消されてしまったのだ。

 それでも、俺もふとした瞬間に好きだなぁと思う瞬間はあるし、カラ松に至ってはいつまでも俺に初恋をしているような状態な訳だし。

 お前はこうして俺の事で悩んでいればいい。俺もこうしてカラ松の事で頭がいっぱいのまま、人生を終えていく。2つの恋心による人生はもう決して完全に一致することは無いのだろう。

「大丈夫、安心して。俺はもうカラ松から離れないし」

 そうだ。本来の目的を忘れるところであった。

 カラ松の頭を軽く撫でてやる。抱きしめる腕の力を、ほんの少しだけ強める。

「もうすぐ終わりだからさ」

  俺はカラ松を独占して、カラ松の記憶に俺しか残らないうちに、カラ松が俺の事を好きなうちに、2人で心中するためにこうしてカラ松を誘拐したのだ。

 朝日が昇ったら海に飛び込もう。今、心に決めた。

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