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forever in my heart ​

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「はーい、松尾芭蕉…芭蕉さん、天国ね」

「天国はこちらです」

 閻魔の判決と共に鬼男が扉を指し示す。短い焦げ茶色の髪が揺れ、頭が持ち上げられると、そのよく見知った顔、芭蕉の顔が目に留まった。

 酷く、浮かない表情をしている。

 意気揚々、とは程遠いような動作で立ち上がり、鬼男の手が指し示す先へと足を運ぶ芭蕉を尻目に見て、閻魔は目を閉じたらしい。視界が暗転された。

「芭蕉さん」

 呆れたような声。呼び止められた芭蕉は弾かれたように、そして同時に不思議そうな顔をして、こちらを振り返った。閻魔の口角が吊りあがり、全てお見通しだということを全身で醸し出すかのように両手を広げて、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「現世に未練があるんでしょ」

「閻魔大王、何言って…」

「いいじゃん、鬼男くん。そう堅いこと言わないでさ。こんな悲しそうな顔した人を天国に送るなんて酷だよ?」

「それは…そうですけど…」

 それきり何も言わず黙った鬼男に、閻魔は目を細めて笑顔を浮かべてみせた。そして芭蕉の方へと視線を移す。

「どうしたの?君の愛する弟子に、別れを告げ損ねちゃった?」

「え?」

「あれ、違うの?」

 拍子抜けした閻魔の声。それ以上に、予想外の言葉を言われて驚いているのは芭蕉の方だ。閻魔の顔が羞恥に赤く染まる。

「わあああ違ったの!そうなの!何それ俺超馬鹿みたいじゃん!鬼男くん、ちょっと穴掘って…」

「じゃあ、何でそんなに浮かない顔をしてるんですか?」

 閻魔を差し置いて芭蕉の方へと話しかける鬼男。少し申し訳無かったかなと芭蕉は困ったように笑った。

「うん、別れ際はちゃんと、今までありがとう、バイバイって言えたんだけど…」

「言えたけれど…それでも何か心残りが?」

 鬼男の問いに、控え目な諦め混じりの苦笑を浮かべる芭蕉。自分の言葉が高望みであることは百も承知であるという、しかし同時にそれを心に留めておくということは、既に無意味であるということも理解している表情に、閻魔は興味深そうに芭蕉の顔を覗き込む。

 ふふ、と声を溢すようにして笑い、そしてゆっくりと口を開き、喉を震わせ、芭蕉は声を発した。

「もしも…もしもの話なんだけどね。曽良くんさえよかったら、曽良くんの記憶の一ページの端っこに、ちょこっとだけでいいから私のことを載せて、私との思い出を残しておいて欲しいなって…そう思っただけなんだ」

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