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特別な人

「なんだその荷物は」

「……いろいろあったの」

 顔を合わせるなり、男の第一声がそれだったものだから、ナギは目を逸らしながら席に着いた。同居人に持たせられた、と言ったところで男がこの荷物そのものに興味がないことは分かっていた。

 店員が気を利かせて隣のテーブルを合併させたため、ナギは自分の隣の椅子に件の紙袋を置いた。朝の喫茶店というものは基本的に空いている。そのため二人客であっても四人掛け分の座席を占拠しても問題ないようであった。

 上着を脱いで椅子の背もたれにかける。そのまま腰を下ろすとクッションの柔らかさを感じた。店員にミルクティーを注文。無言のまま周囲に部外者がいなくなったことを確認して、ナギはゆっくり男の方へと視線を戻した。

 男の視線は、ナギの荷物に向けられていた。巷で流行りの有名な菓子屋の紙袋であるのだから、情報通なこの男が知らないはずはないだろう。中身は男が関心を向けるようなものではない。そこまで興味があるのなら、持ち帰ってもらいたいところである。どうせどこかで捨てて帰る必要が生じているのだ。できることならば無駄にならない方が、主に気持ちの問題でありがたい。

「これ、いる?」

「本気か?」

 ナギの発言に、男はケタケタと笑い出した。男の下品な嘲笑に不快感を覚える。ナギは眉根に皺を寄せた。

「そんな得体のしれない物、いくらお前さんが常連だからといって受け取れる訳ねえだろ」

 得体の知れない物。確かにこの男から見たらそうかもしれない。取引相手が持ってきた紙袋である、警戒するのも無理はない。中身はただの菓子であるが――

 もしも、盗聴器が取り付けられていたら。

 あるいは、位置情報発信機。

 ナギの背筋が粟立った。

 いや、綺羅に限ってそんなことは絶対にしない。する意味もない。しかし、無いとは言い切れない自分がいた。最近の綺羅は以前よりも掴みづらい人間になってきているように感じているからだろうか。恋人だからという理由で、ナギの外出時の動向を探ろうとしても不思議ではないと、不覚にも思えてしまうのだ。考えれば考えるほど、被害妄想が現実味を帯びてくる。血の気が引いてくる。

「どうした?」

 声をかけられて、現実に引き戻された。男はナギの挙動を眺めながらコーヒーを口にしていた。目が合う。すぅ、と男の目が蛇のように細められる。

 今の自分の顔は、どんな顔をしているのだろう。上手く表情を動かすことができているだろうか。少なくとも、口角は引き攣っているように思う。

 ああ、この男と関係を持ってからというもの、すっかりまともではなくなってしまった。もともと人間不信のきらいがあるが、最近はそれに拍車がかかっている気がする。お世辞にも上品だとは言えない柔和を歪に貼り付けたような薄ら笑いを浮かべた男が、顔面蒼白となったナギの様子を見て少しばかり楽しんでいるように感じるのも、そのせいか。

この男はナギを取引の相手として認識しているだけで、ナギを虐めて愉しもうなどという目的は持っているはずがない。仮に持っていたとしたら、もっとやり方が違うはずだ。だから男の表情の変化に対してナギが感じたことは端的に言って“考えすぎ”である。

それでも、伸ばされた髭から覗く僅かに上がった口角、ナギを凝視して細められた目、コーヒーカップの持ち方からその所作に至るまで。考えすぎだと分かってはいても、意識せざるを得ない。危険な橋を渡るというのは、そいうことだ。

「……なんでもない」

 今日は男に対しての詮索をしない方がよさそうだと判断。ミルクティーを運んできた店員に軽く会釈をして、ティーポットに手を伸ばす。蓋を押さえる手は震えていないか。紅茶を注ぐペースはいつも通りか。気を張って淹れたミルクティーは、味どころか香りすらよく分からなかった。

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