特別な人
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皇綺羅が初めてその存在を知った時、帝ナギはまだ十二歳だった。
目が眩むほどの輝きと美貌の持ち主である瑛一の横に並んで紹介されたナギは、瑛一の強烈な存在感に負けないほど、その小さな体の全身からキラキラと艶やかで玉のような愛らしさを放っていた。こんなにも神が作り出した奇跡のような人間がこの世に存在しているのかと衝撃を受けた。同時に、ひどく退屈そうな顔をしている少年だなと感じた。そんなもの憂いている横顔は、その容姿に不釣り合いなほど大人びていて。
何故だか無性に、守ってあげなければ、と思った。
一説によると、人が“可愛い”と感じるのは、守りたいという感情から来るらしい。その“可愛い”を全てすっ飛ばすほどに、綺羅はナギに対して並々ならぬ保護義務感を抱いた。
まだ義務教育の最中だというのに、年上の人間たちと肩を並べて、厳しい芸能界で生き抜いていく選択をした。そんな彼の面倒は、自分が見るべきだろうなと綺羅はなんとなく思った。リーダーとして多忙な瑛一の負担を、少しでも減らしたいという計らいもあった。これ以上瑛一の負荷を増やすことは避けたかったからである。
しかし蓋を開けてみれば、その心配は杞憂だった。ナギは本当にしっかりしていた。頭の回転も速く、機転も利く。そして彼は、よく綺羅の面倒を見た。仕方がないとは言いながらも、それを彼が好んでやっているように感じられたのは、恐らく綺羅の気のせいではないはずである。瑛一は忙しいから、ナギの面倒を見るためにも自分がしっかりしなければと思えば思うほどにから回る綺羅を、逆にナギがサポートをする場面も、日に日に割合を増やしていった。
「宇宙一キュートなアイドル、帝ナギだよ~☆」
どうやら“可愛い”を自覚している者は、守られなければならないほど弱い存在ではないらしかった。
しっかりしていて、頼もしい存在。初期の頃から瑛一の隣で共に立っていたから、よりそのように思うのかもしれない。あんなにも小さくて、可憐で、幼いのに、自分よりも何倍も自立していた。
自立しなければならない環境にあったのだろうかと綺羅が気づいたのは、自身が成人してから数年経ってからのことである。
ある日、瑛一が唐突に三人で夏祭りに行こうと言い出したことがあった。綺羅とナギが耳を傾けるや否や、どこからか持ち帰ってきたチラシを手に熱弁。どうやら宿舎の近くで自治体主催の夏祭りがあるらしいという情報を得たようだ。そして祭りの開催日が、瑛一と綺羅とナギの休みが運よく重なる予定の日付なのであった。
盛り上がる瑛一と綺羅を余所に、ナギは白けた様子だった。颯爽とマネージャーへ連絡をしに行った瑛一の背中を冷ややかな目で眺めながら、呆れたように大きな溜息。ソファに座る綺羅の隣に勢いよく腰を下ろし、背もたれに体重をかけて腕を組む。
「何、はしゃいじゃって。綺羅はともかく、瑛一なんてナギより十歳も年上の大人なのに、馬鹿みたい」
「祭りは……誰でも、こうなる」
「そんなわけないでしょ」
「ナギは、ならない……のか?」
綺羅が尋ねると、ナギはほんの少しだけ何かを躊躇うように言葉を詰まらせた。しかしそれも本当に一瞬のことで、もしかしたら綺羅の気の所為だったかもしれない。それでも、ナギを見つめる綺羅から伏目がちに視線を逸らす様子が、何故だか印象に残った。
「よく分かんない。行ったことないし」
「地元に、そういった祭りはなかったのか?」
「あったけど別に……そういうのに、興味なかっただけ」
「祭りは……楽しい」
「そんなに行きたいなら、付き合ってあげてもいいけど」
目を合わせないまま言うナギ。思いがけない言葉を言われて、綺羅は驚きに目を見開いた。ゆっくりと一度、瞬き。そしてもう一度。やがてナギの言葉の真意を理解した綺羅は、素直じゃないなと、なんとなく愛おしく思った。
翌日、瑛一が金魚鉢を買ってきた。これどうするの、とナギ尋ねると、夏祭りに行って金魚すくいをし、事務所で育てるのだ、と瑛一は言った。ナギは「馬鹿みたい」と言った。
その翌日、綺羅は金魚の飼育方法の本を図書館で借りてきた。ナギは再び「馬鹿みたい」と言った。
リビングで綺羅が瑛一と本を広げながら話をしている様子を、ナギは遠巻きに見ていた。しばらくして二人が本を置いたまま席を立つと、ナギはそれを手に取り、パラパラとページを捲り始めた。その姿を、ナギに気づかれないように瑛一と綺羅はこっそりと見ていた。数日後、ナギにその事実がばれてひどく怒られたことを覚えている。しかしそのことがきっかけとなり、ナギは金魚の飼育本を読むことを隠さなくなった。瑛一と綺羅に感化されたのか、あるいは馬鹿馬鹿しいと思いながら読んでいるうちにその気になって楽しみになってきたのかもしれない。
祭りを心待ちにしながら談笑をする、そんな日が続いた。
結局、夏祭りは行けなかった。
「瑛一が……祭りに、行けなく、なった……仕事で。本当に、すまない、と」
「……そっか」
もっと文句の一つや二つ言うものかと思ったが、意外にもナギは冷静で落ち着いていた。大きな瞳が一瞬大きく見開かれたものの、すぐに普段通りの様子で小さく息を吐き、小さく口を開く。
「しょうがないよ。瑛一、仕事なんでしょ。行きたいって言いはじめた張本人が行けないなら、行く意味ないじゃん」
吐き捨てるような口調。綺羅は何も言わずに目を伏せた。仕方がないと言いながら、空っぽの金魚鉢の縁を指先で滑らせるように撫でるナギの後ろ姿が無性に悲しくて、きっとナギはナギ自身が思っていた以上に祭りを楽しみにしていたのだと分かった。
そのまま金魚鉢は、一度も使われないまま物置の奥の方へと仕舞われてしまって、今はどこにあるのか分からない。
あの時、ナギは最後まで、痛々しい程に強がりの言葉を吐いて、口が裂けても行きたかったなどとは言わなかった。不器用で素直じゃない小さな彼に、果たして自分は何をしてやることができるのだろうかと考えて、そんなことを考えること自体が自惚れなのかもしれないと。
そんな風に思った。